中央・総武線全39駅 JB18御茶ノ水駅:炎天下の某日“表現の自由”のお勉強のため御茶ノ水へ
JB18御茶ノ水駅
ビザンティン・リバイバル
正教会の大聖堂。
建築様式はビザンティン・リバイバル。
1891年、ミハイル・シチュールポフの原設計、ジョサイア・コンドルの実施設計で竣工。通称「ニコライ堂」は、日本に正教を伝えたロシア人大主教聖ニコライにちなむ。
ニコライ堂
ニコライ堂 東京復活大聖堂教会/東京の観光公式サイトGO TOKYO
ジョサイア・コンドル(Josiah Conder、1852年9月28日 - 1920年6月21日) は、イギリスの建築家。
工部大学校(現・東京大学工学部)の建築学教授として来日し、傍ら明治政府関連の建物の設計を手がけた。辰野金吾ら、創成期の日本人建築家を育成し、明治以後の日本建築界の基礎を築いた。のちに民間で建築設計事務所を開設し、財界関係者らの邸宅を数多く設計した。日本女性を妻とし、河鍋暁斎に師事して日本画を学び、日本舞踊、華道、落語といった日本文化の知識も深かった。
2018年夏“表現の自由”のお勉強のため御茶ノ水
某日の炎天下、御茶ノ水まで自由探しwをして来ましたねぃ(*‘ω‘ *)
何かをつかめた様な気もしました。
すこし早めに着いたこともあり御茶ノ水駅周辺をウロウロしてみました。湯島聖堂もよってみようと思いましたが、時間もなく暑かったこともあり断念。
目的の自由探しwの勉強をして来ました。トップ画像は僕が撮ってきましたよ(^_-)-☆
湯島聖堂(ゆしませいどう)は、東京都文京区湯島一丁目にある史跡。江戸時代の元禄3年(1690年)、江戸幕府5代将軍徳川綱吉によって建てられた孔子廟であり、後に幕府直轄の学問所となった。
JR中央線の御茶ノ水駅聖橋口からでて、聖橋を渡り右手の森の中にあり、「日本の学校教育発祥の地」の掲示がある。
湯島天満宮(湯島天神)とともに、年間(特に受験シーズン)を通して合格祈願のために、参拝に来る受験生が訪れる。特に、合格祈願の鉛筆を買っていく受験生の姿が多く見受けられる。国の史跡に指定されている。
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日本初の本格的なビザンティン様式の教会
ニコライ堂は建築面積は約800平方メートル、高さは35メートルのドーム屋根が特徴的。また、日本で初めての本格的なビザンティン様式の教会建築なのだそう。
1891年に竣工し、関東大震災で大きな被害を受けた後、一部構成の変更と修復を経て現在に至った。
1962年6月21日、国の重要文化財に指定される。
ビザンティン建築(ビザンティンけんちく、英語: Byzantine Architecture)は、東ローマ帝国(ビザンツ帝国、ビザンティン帝国)の勢力下で興った建築様式である。
4世紀頃には帝国の特恵宗教であるキリスト教の儀礼空間を形成し、そのいくつかは大幅な補修を受けているものの今日においても正教会の聖堂、あるいはイスラム教のモスクとして利用されている。日本では、ビザンツ建築と呼ばれる場合もある。
ローマ建築円熟期の優れた工学・技術を継承し、早い段階で技術的成熟に達するが、その後、東ローマ帝国の国力の衰退と隆盛による影響はあるものの、発展することも急速に衰退することもなく存続した。
幼少期母の仕事(地図製図)の関係でついて回る
母の仕事の関係で、御茶ノ水駅までついて行ったことがたびたびあります。当時、地図製図の仕事をしており、でき上がったものを持っていく。自分は、ついて回ったという事になります。
イメージとしてうっすらと残っており、説明してくれと言われれば出来るし、横浜に出てきてからだけでなく、埼玉新座市時代の頃も映像として頭の中にあります。
機会がありましたら、新座市時代の頃のお話が出来たらうれしく想います(*‘ω‘ *)
御茶ノ水駅(おちゃのみずえき)は、東京都千代田区と文京区にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京地下鉄(東京メトロ)の駅である。
神田川(外堀)南側(千代田区側)にJR東日本の駅が、北側(文京区側)に東京メトロの駅がある。所在地はJR東日本が千代田区神田駿河台二丁目、東京メトロが文京区湯島一丁目である。
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焼き魚ぶん投げ事件
寝つきも悪く神経質、小さな物音で目を覚ます
2,3歳の頃でしょうか。
当時から寝つきが悪かったらしく、ちょっとした物音で目を覚まし、泣き出したりしていたのだとか。
ある日の夜。いつもの様に目を覚ます。気配を感じられない。恐ろしくなり、下の階へ向かった。
“やはり、いない”
あとから、分かったことでもあるが、“母が父のむかえに出たばかり”ということらしいが、そんな事は、息子君には知ったことではない。
“やはり、いない”
イライラしだし、八つ当たり。オーブンにあった、焼き魚を取り出しぶん投げてしまう。
家を飛び出し、父母を探しに夜道を行く決意
怒られるのは嫌だったのだろう、こそっとオーブンに戻した。
外へ行こうと決意する。
雨戸をあけ、外へ。当たりは暗い。
大通りへ向かうことにした。通りに、ローソンが出店したばかりで、チュパチャップスを買い求めたりもしたが、これは別の話。
灯りが行きかっている。いまだに、当時の映像をイメージとして浮かべることが出来、キレイに想えた。
似たようなことを最近する。メガネを外し夜道を歩くことで、似たような感覚になる。交通量が多い通りほど良いか。
レストランの店員さんが保護。無事父母と帰る
大通りを目指すと左手にレストランがあった。そこで食事をしたかは覚えていないが、男性店員さんらしき人が出てきて、保護してくれた。車どおりも多いし、夜間。非常に危険。
店員さんと何を話したか覚えてはいないが、良くしてくれたという記憶は何となく残っている....
ひとまず、父母がむかえに来てくれ、無事、一緒に帰宅できた。
自分なりに焼き魚の件などの隠蔽工作を試みたが、失敗。即ばれる。焼き魚のかたちの崩れがポイントになったようだ。
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関東大震災瓦礫で造成 横浜・山下公園
当時の人びとの強さや想いというもの感じられる
関東大震災で出たがれきを横浜港を埋め立て、かたちづくっていく事で、山下公園になったのだそうです。今風に言うなら、“スクラップアンドビルド”とも言えるでしょうか。
もちろん、地震なので、良くないことが起きてしまったわけですが、良くない出来事を、より良いものに変化させようとする、当時の人びとの強さや想いというもの、公園に訪れた際にも感じられ、東京五輪・パラリンピックというものに役割があるのだとするなら、強さや想いというものをもう一度取り戻すというのもそうですし、野球・ソフトボールの会場として横浜スタジアムが利用されるというのも、地域や世代間の不和解消としての役割があるのだろうと思える。
出来る範囲で、協力できたならうれしく想います。
山下公園
山下公園(やましたこうえん)は、神奈川県横浜市中区山下町にある公園(風致公園)。
山下公園は関東大震災の復興事業として、横浜市助役だった楢岡徹らが瓦礫などを使って海を埋め立て造成して、1930年(昭和5年)3月15日に開園した。面積は 74,121m2 。なお、横浜市は「日本最初の臨海公園」としている。
1930年(昭和5年)3月15日開園「日本最初の臨海公園」
関東大震災で出た瓦礫を使い、復興事業として横浜市助役だった楢岡徹らが海を埋め立て造成したのが山下公園。
1930年(昭和5年)3月15日に開園し、面積は 74,121㎡ 。なお、横浜市は「日本最初の臨海公園」としている。
開園後40年に渡り、公園前面の海面を埋め立て埠頭とする計画が提出されるも、これは実現せず、後に東の隣接地に山下埠頭が造成された。現在、同海面地下にはトンネル構造の臨港幹線道路が計画されているのだそう。
インド水塔
関東大震災の際に、横浜市がインド商人をはじめとする外国商人の救済措置を積極的に講じた謝礼として、インド商組合から寄贈されたものです。華麗なモザイク模様のドームのイスラーム建築をはじめ、その意匠は様々な要素がたくさん組み合わされています。
モザイク模様はこちら(*‘ω‘ *)
イスラーム建築(イスラームけんちく、英語: Islamic architecture, アラビア語: عمارة إسلامية)は、草創期から現代に至るまでに、イスラームの人々によって生み出された建築である。イスラム建築とも呼ばれる。
たいへん多様な建築であり、建築材料も建築技術も多岐にわたるが、一定の統合的な原理を持ち、また、古代建築の特徴を西洋建築よりも色濃く受け継いでいる。
イスラーム文化の領域内においては、モスク、ミナレット、ミフラーブ、ムカルナスなどの施設が採用されたため、建築のデザインや構成は地域性を超えて大きな影響を受けた。また、イスラームでは偶像崇拝が禁止されていたため幾何学模様と文字装飾が発展し、美しいアラベスクやカリグラフィーがイスラーム建築を彩っている。
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氷川丸
日本郵船が1930年(昭和5年)に竣工させた日本の12,000t級貨客船。北太平洋航路で長らく運航された。2016年時点では、横浜市で博物館船として公開されている。国の重要文化財(歴史資料)に指定されている。
「氷川丸」は、横浜船渠(現三菱重工業横浜製作所)で建造された1万トン級貨客船であり、太平洋戦争では病院船として運用された。戦後は1960年(昭和35年)まで北太平洋航路で運航を続けた。
運航終了後は横浜市の山下公園前(横浜港)に係留されている。戦前より唯一現存する日本の貨客船であり、船内のインテリアなども含めて貴重な産業遺産であるため、2003年(平成15年)には横浜市の有形文化財の指定を受け、2007年(平成19年)に経済産業省の近代化産業遺産として認定、さらに2016年(平成28年)8月には国の重要文化財(歴史資料)に指定された。
横浜赤レンガ倉庫
横浜赤レンガ倉庫(よこはまあかレンガそうこ、Yokohama Red Brick Warehouse)は、神奈川県横浜市中区新港一丁目の横浜港にある歴史的建築物である。明治政府によって保税倉庫として建設され、建設当時の正式名称は横浜税関新港埠頭倉庫。みなとみらい地区内の2街区にあたる。
2号館は1911年(明治44年)、1号館は1913年(大正2年)に竣工。保税倉庫としての役割は1989年(平成元年)までに終え、しばらく放置されていた。
2002年(平成14年)に、1号館は展示スペース、ホールなどの文化施設、2号館は商業施設となり、付近一帯は広場と公園を備える赤レンガパークとして整備され、横浜みなとみらい21地区の代表的な観光施設となっている。第45回BCS賞 (2004年) 受賞。2007年(平成19年)、経済産業省による近代化産業遺産に認定。2010年(平成22年)、日本初の「ユネスコ文化遺産保全のためのアジア太平洋遺産賞」優秀賞受賞。
「山下公園」スクラップアンドビルドを感じる事も
関東大震災で被害をうけるも、“一部構成の変更と修復”を行い、後に国の重要文化財に指定される。
震災時の瓦礫を横浜の海に埋め立て造成し、「日本最初の臨海公園」に再生させるなど、命を吹き込みより良くつくりかえているところにも、"スクラップアンドビルド”を感じる事もできます。
いまの日本に求められているのかも知れませんね。
スクラップアンドビルドとは、老朽化して非効率な工場設備や行政機構を廃棄・廃止して、新しい生産施設・行政機構におきかえることによって、生産設備・行政機構の集中化、効率化などを実現すること。
工場設備や行政機構などで、非能率的な設備や組織を廃棄して、新しい能率的なものに立て直すこと。
小売業界では、老朽化した店舗や小規模店舗を閉店し、同じ商圏(または地域)で大規模の新店舗に置き換えることを指す。
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