小田原線全47駅 OH10豪徳寺駅:上京以降を振り返る、2010年代をいかに過ごしたか… 2019年6月6日OH07下北沢駅からスタート!
豪徳寺駅(ごうとくじえき)は、東京都世田谷区豪徳寺一丁目にある、小田急電鉄小田原線の駅である。駅番号はOH 10。
東急電鉄世田谷線の山下駅と乗り換えが可能である。
世田谷区の豪徳寺に伝わる「招き猫」の伝説に因み、2010年6月12日に駅前に御影石で作られた招き猫像が設置された[10][11]。
豪徳寺 - 彦根藩・井伊氏の菩提寺。南へ徒歩約10分。ただし最寄駅は当駅ではなく、東急世田谷線宮の坂駅である。
OH10豪徳寺駅
2010年代をいかに過ごしたか…
昨年の事になるでしょうか。
2019年(昭和49年 寅)6月6日45歳歳の誕生日に、東京を振り返る狙いから、下北沢方面に行くことにしました。
駅近くにある、ファーストキッチンで朝食をいただきながら、考えごとなども出来たようです。
有難うございました。
下北沢(しもきたざわ)は、東京都世田谷区の北東部に位置する下北沢駅周辺の地域名。概ね同区北沢の全域と代沢の一部辺りを含む下北沢村(東京府荏原郡)がかつて存在した[4]。略して下北(しもきた)[5]とも呼ばれる。
町名としての北沢(きたざわ)は、現行行政地名では北沢一丁目から北沢五丁目。郵便番号は155-0031[2]。なお、下北沢という住所は存在しない。
代沢に含まれる部分については、代沢も参照のこと。
上京以降を振り返りながら見てまわる
下北~豪徳寺~松陰神社~目青不動~三軒茶屋~246~目黒川
このような行程で、みてまわることが出来たようです。古着屋さんなどを見ようと立ち寄るも、開店前。そらそうよ、朝だもの。
なので、気を取り直して、豪徳寺へ向かうことにしたようです。
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都立梅ヶ丘病院 閉鎖病棟入院の子の話
豪徳寺駅に有る、東京都立梅ヶ丘病院には、閉鎖病棟があったらしく、2年もの間入院していた子の話も聞くことが出来た。どうやら、内側からのドアノブがないらしく、監視カメラ。
恐ろしい…
考えたくもない…
よくよく考えてみると、自分の現状とも似ている。神奈川県にお世話になっていた頃から、盗聴されてたし、電磁波被害も受ける。学校からは、情報を持ち出される。教師もマウントとりに来る。ことごとく狙い撃ち。内外の違いはあれど、似ている…
そんなことを考えながら、豪徳寺に立ち寄ることになった。
東京都立梅ヶ丘病院(とうきょうとりつうめがおかびょういん)は、かつて東京都世田谷区松原に存在した病院。設置・運営者は東京都であり、主に児童精神科診療を行う精神科病院であった。
東京都立松沢病院分院として発足、2010年(平成22年)3月、東京都立清瀬小児病院・東京都立八王子小児病院と統合され、東京都立小児総合医療センターとなったことで閉鎖された。
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世田谷八幡宮×豪徳寺
神社での奉納相撲は江戸郊外三大相撲
“土俵奉納相撲”
世田谷八幡宮により、写真を数枚収め豪徳寺
小田原線に豪徳寺駅へと向かう。前回は梅ヶ丘駅で下車し、花見を楽しむことが出来ましたが、ひとまずスキップ。豪徳寺駅で下車。
豪徳寺へ向かう途中、世田谷八幡宮により、写真を数枚収める。
土俵が気になり、まわりを見渡すと、“土俵奉納相撲”と書かれた立札を見つける。こちらも写真に収め納得し、豪徳寺へ。
こちらが“奉納相撲 土俵”(*‘ω‘ *)
招き猫いっぱい「豪徳寺」開運招福祈願
前回は2号だったので、今回は3号にしました。“熊手感覚”のようです。
彦根藩主井伊家墓所、井伊直弼墓にも立ち寄り、歴史に思いをはせました。
満足し、世田谷線宮の坂駅で乗車、松陰神社前駅で下車し、松陰神社へと向かう。
豪徳寺はこちら(*‘ω‘ *)
招き猫:左が2号、右が3号
松陰神社では、おみくじとお守り
「花まもり」 お守り “テンション高め”
宮の坂駅で江ノ電を写真に収め、松陰神社前駅を目指す。
松陰神社前駅を降りると、真っすぐ松陰神社へ。おみくじと“花まもり”というお守りを購入。テンションが上がり始めてしまう。
悪い癖。発達障害かな(*‘ω‘ *)
保存されている江ノ電601(元東急デハ87)
松陰神社通り商店街 再度お邪魔したい
ごあいさつを済ませ、 松陰神社前駅へ、小さな商店街をしばらく歩いて向かうことにした。店構えは小さいものの、可愛らしお店も多かったので気になったようです。
改めて、お邪魔できるとうれしいです。
その際は、よろしくお願いいたします。
おみくじと“花まもり”というお守り。おみくじは小吉(*‘ω‘ *)
西太子堂駅、三軒茶屋駅間“目青不動”
Wikipedia引用にもあるように、東急電鉄世田谷線三軒茶屋駅から歩いて、300mくらいのところに目青不動は位置しており、それまで世田谷線を利用して西太子堂駅まで向かった事はなかったのですが、先日、松陰神社に向かう際に、一度降りてみることにしました。
いままで“目青不動”に立ち寄った事もなかったので、付近を見て回る狙いもありました。
線路沿いを三軒茶屋方面へ向かわせると、左手に、それらしき建物が見て取れた。どうも、最勝寺“目青不動”らしい。
Wikipediaを参照してみたところ、寛永寺の末寺の一つである事も分かった。
最勝寺(さいしょうじ)は東京都世田谷区太子堂四丁目にある天台宗の寺院。寛永寺の末寺の一つである。通称教学院(きょうがくいん)、正式名称は竹園山最勝寺教学院。目青不動(めあおふどう)の通称でも知られる[1]。
歴史
寺の縁起によれば、応長元年(1311年)、玄応和尚によって江戸城紅葉山付近に創建され、太田道灌による江戸城築城(康正3年・1457年)により麹町貝塚に移転、のちに赤坂三分坂(青山墓地近辺)へ移転したという。その後慶長9年(1604年)、青山南町(百人町)に3000坪の土地を与えられ移転し、明治42-44年(1909年-1911年)、太政官布告により3カ年の期間を経て現在地に移転したという。
彰義隊上野寛永寺
2007年某日九段下靖国神社に参拝する
この日は、半蔵門線九段下駅で、待ち合わせし、歩いて向かう。
駅から、緩やかな上り坂のような地形になっているものの、距離もない事から、数分程度で靖国神社。また、以前にも、周辺にお世話になっていた事から、土地勘はあったようです。
神社には、遊就館というものが併設されており、引用にもあるように、幕末維新期の動乱から大東亜戦争(太平洋戦争)に至る戦没者、国事殉難者などの心を知る為の資料を目にする事が出来るようです。
遊就館(ゆうしゅうかん)は、靖国神社境内に併設された同社の祭神ゆかりの資料を集めた宝物館(博物館法の適用外)。
幕末維新期の動乱から大東亜戦争(太平洋戦争)に至る戦没者、国事殉難者を祭神とする靖国神社の施設として、戦没者や軍事関係の資料を収蔵・展示している。1882年(明治15年)に開館した日本における「最初で最古の軍事博物館」[1]。
開館時間
午前9時~午後4時30分
みたままつり期間中(7月13日~16日)は午後9時まで夜間開館
※入館は閉館30分前まで
※館内の撮影は1階玄関ホール及び大展示室以外は原則禁止。また退館時刻も厳守のこと。
拝観料
大人 1000円 (2018年1月1日に800円から値上げ)
大学生・高校生 500円
小学生・中学生 300円
靖国神社崇敬奉賛会会員は無料
障害者手帳保持者は入場無料
遊就館ロビー モックアップ “こわい”
この日は、拝観することは出来なかったようですが、ロビーに有るモックアップを見ることが出来たようです。
なかには、傷みがひどいものも、あって恐ろしいという想いにもなったようです。
近くで作業をしていた兵隊さんは、おそらくなくなってしまったのだろうとimageできるようです。
彰義隊(しょうぎたい)は、幕末期の1868年(慶応4年)、江戸幕府の征夷大将軍であった徳川慶喜の警護などを目的として渋沢成一郎や天野八郎らによって結成された部隊。江戸幕府より江戸市中取締の任を受け江戸の治安維持を行ったが、戊辰戦争の一環である上野戦争で明治新政府軍に敗れて解散した。
鳥羽・伏見の戦いの後、徳川慶喜は江戸城へと移っていた。1868年2月11日に新政府に対する恭順の意を表し、翌12日、上野寛永寺に蟄居した。
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大村益次郎像 上野寛永寺の様子を見る
イメージしてみると、大砲のそばでは作業をしている兵隊さんもいることから、破裂した鉄辺を体に浴び、ひどい状況になっている事も想像できる。
やはり、怖いという想いも自然なこと。
理解できる。
大村益次郎像が正面で出迎えており、こちらは、上野寛永寺を眺めているのだそうで、立てこもった彰義隊の動向を気にしてのことなのだとか。
SG01三軒茶屋駅
世田谷線の駅は、関東の駅百選に選出
関東の駅百選にも選出された、世田谷線の駅の写真を撮影することも出来たようです。有難うございました。なんども利用しており、可愛らしいつくりになっているようです
また、世田谷線全体がローカル線らしい、風情があって、好きな路線になるようです。有難うございました。今後ともよろしくお願いいたします。
関東の駅百選に選出SG01三軒茶屋駅
さんげんぢゃやえき)は、東京都世田谷区太子堂にある東急電鉄の駅である[3]。
新玉川線計画の段階から、首都高速道路3号渋谷線および国道246号の陸橋の基礎および地下道と一体構造で設計され建設されている。
このうち、地下道部分は1971年(昭和46年)12月に完成し、鉄道開業に先行して使用開始された。
group sounds:GS 1967年~69年 流行
1974年(昭和49年)6月6日東京都小平市で生まれる。
2日後の8日には、中野区役所に届け出が提出される。埼玉県新座市で4歳まで過ごす事になる。1978年から神奈川県横浜市にお世話になっております。
両親とも、高校を卒業すると、父は北海道根室市から、母は栃木県大田原市から上京することになった。
逆算してみたところ、group soundsが流行り始めた頃に、両親とも上京してきたことになる。
1966~67年辺りか…
専門学校の友人を通して、知り合い、付き合う事になったようです。69年辺りにGS下火、ちょうど、両親とも専門学校を卒業している計算になるようです。
同棲、結婚など経て、1974年6月6日に、僕が生まれたようです。なので、group sounds:GSが下火になった5年後辺りに生まれたことになるようです。
グループ・サウンズ(またはグループ・サウンド、和製英語: group sounds)とは、エレクトリック・ギターやエレキ・ベースなどの電気楽器を中心に数人で編成される、演奏および歌唱を行うグループ。
欧米におけるベンチャーズやビートルズ、ローリング・ストーンズなどのロック・グループの影響を受けたとされ、1967年(昭和42年)から1969年(昭和44年)にかけて日本で大流行した。略称GS。
Looking Through A Glass Onion: Beatles Psychedelic Songbook 1966-1972/ Various
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