東急東横線全21駅 TY04祐天寺駅:2003年3月からお世話に 

TY04祐天寺駅

2003年3月からお世話に

 目黒区下目黒から、2003年春に越してくることになりました。それまで、目黒区下目黒にある、マンションで暮らしていました。最寄駅は、東急東横線学芸大学駅。歩いて15分程度と軽い運動が出来そうな距離。

 東口を出ると、商店街がしばらく続く。

 交通量の多い通りに出るので、そこを道になりに行くと、大きな電波塔のようなものが見てとれる。NTTのものとなるのか。右手に見ながら、道なりに行くと、さらに交通量の多い通り。目黒通り。

祐天寺にあるカフェ 

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自転車屋さんの入り口付近 

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祐天寺(ゆうてんじ)は、東京都目黒区中目黒五丁目にある浄土宗の寺院である。山号は明顕山。本尊は祐天上人像(本堂安置)と阿弥陀如来坐像(寄木造、阿弥陀堂安置)[1][2]。現在の本堂は、元々は常念仏堂として建立された堂宇を再建したものである。

沿革 
享保3年の春ごろから増上寺36世住持の祐天の体調が悪化したため、弟子の祐海は祐天が常念仏を行える廟所を探す。しかし同年7月15日(1718年8月11日)に祐天が亡くなる。

祐天が廟所を目黒の地に建立する事を望んでいたこともあり、祐海は同じ目黒にある善久院を百両で購入し住職となる。損傷の激しい善久院に祐天の廟所と常念仏堂を建立再興した。

享保8年(1723年)1月13日、祐天寺の寺号が正式に許可される。[3]

祐天を開山とし、祐海は第2世となる。境内に柳原愛子(大正天皇の生母)の墓がある。

祐天寺 - Wikipedia

目黒通り 26号線の交差点 付近目黒郵便局

 正面左に見えるのが目黒郵便局。交差点を渡り真っすぐ行くと、武蔵小山方面。

 昨年まで暮らしていたところ。今回は左折。目黒通りをしばらく歩くと、清水バス停。こちら、下目黒で暮らしていた頃、よくお世話になっていたバス停にもなります。

 現在、付近は様変わりしており、当時の面影はなく、すこしさみしい気持ちになります。

武蔵小山駅ビルから、パルム商店街方面 

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武蔵小山駅(むさしこやまえき)は、東京都品川区小山三丁目にある東急電鉄目黒線の駅である[1]。駅番号はMG03。

駅名の由来 
地名が由来。近隣の小山八幡神社にちなんで「小山」になった説[3]と、この近辺が小高い山であることに由来する「小山」が語源とする説がある。

開業当時は「小山駅」だったが、同名駅がすでに東北本線に設置されていた(ただし読みは「おやま」)ため、旧国名「武蔵」を冠して「武蔵小山駅」となった[3]。

武蔵小山駅 - Wikipedia

通り沿い 東急清水バス停 昔ながらの商店

 先日、付近に訪れた際も、同じような想いにあり、上京当時を振り返ることをしてみた。現在、越してきたころをイメージできるようなものは、付近に残されておらず、記憶の中にあるものを探すことを続けた。

 見てまわることを続けてるも、やはり、どこにも残されておらず、 記憶をたどることで、地元の人の想いというものを見つけることが出来ないものかと、そんなことをしながら、辺りを見てまわることを続けた。

目黒通り沿いのカフェ 

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東京都道312号白金台町等々力線(とうきょうとどう312ごう しろかねだいまち とどろきせん)は、東京都港区から品川区、目黒区を経由して世田谷区に至る都道である。通称「目黒通り(めぐろどおり)」。

江戸時代の古地図に、すでにこの道路の姿を見て取ることができる。江戸から大鳥神社、目黒不動尊、さらには浄真寺(九品仏)に向かうための通りでもあった。

1920年(大正9年)4月1日の「東京府告示第百六十二號」(府縣道ノ認定)により、東京都道312号白金台町等々力線の前身となる、東京府道20号芝溝口線が指定される。

放射第3号線として、1964年の東京オリンピックに合わせて、玉川等々力一丁目・二丁目付近が整備された。

東京都道312号白金台町等々力線 - Wikipedia

地元の人の想いというものを知らないまま

 清水バス停をははさむ形で目黒通りが通っており、反対側には東急バスの施設。

 その隣りに古い建物があり、当時、小さな商店が多数入っており、地元にもあったような商店街の風情というものを残していた。ただ、状態も良くなかったせいか、利用することは殆どなく、地元の人の想いというものを知らないままで過ごしていた。

 今は、その建物も改装され、別の施設になっており、違ったものになっているが、付近を立ち寄った際に、当時の状況、想いというものと重なったりもして、感慨深くもある。また、後悔というものあって、もう少し大事に出来やしなかったかと、想ったりもする。

 目黒通りを利用するたびに、そんなことばかり考えています。

 

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目黒通りを目黒駅方面へ 

オシャレなカフェ 家具屋  大きく様変わり

 目黒通りを、しばらく目黒駅方面に歩いて向かうことにした。

 やはり、付近は大きく様変わりしており、当時を想うことは難しい。たしかに、店舗はオシャレなものも多く、カフェや家具屋なども、魅力的だし、おじゃましたくもあります。

 ただ、振り返るなかで、見過ごしていたものを探す作業を、続けてしまっており、失われてしまうと大事なもの、変わらないものほど取り返すことは絶対に出来ないことに気づかされる。

 

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目黒駅(めぐろえき)は、東京都品川区上大崎にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京急行電鉄(東急)・東京地下鉄(東京メトロ)・東京都交通局(都営地下鉄)の駅である。品川区最北端の駅である。

駅名と所在地 
駅名は目黒駅であるが、駅の所在地は目黒区ではなく品川区である。開設時に遡っても目黒村でなく大崎村に位置している。

駅名選定の経緯は残されていないが、目黒不動尊や目黒川など周辺には「目黒」を冠する名称が多い。設置場所については、蒸気機関車の煙や振動が農作物に悪影響を与えると心配した地元農民の反対運動のため、目黒川沿いに鉄道を建設する当初計画が変更されたとする伝承(目黒駅追上事件と称される)がある[8]。一方、地理学者の青木栄一はこうした伝承のほとんどは文献資料などの根拠を欠いたものであると述べている。

目黒駅 - Wikipedia

山手通りと目黒通りが交差する形大鳥神社

 上京して来た年、大鳥神社に訪れた際驚きがあった。

 “切支丹燈籠”

 イエス様がかたちを変えて神社の中にいた事に、そう言うものと想いつつも、驚きを隠すことができない。1995年当時、まったく調子も上がらず、リラックス効果を狙い通り沿いを散策中のことだから、なおさら。とは言え、家族に話したところで、通じることも無いと想い、自分のなかで整理しようとつとめた。

 引用の説明の通り、キリシタンへの弾圧と迫害が厳しくなった寛永・正保・慶安の頃から江戸中期にかけて造られたものと考えられることから、悪いものでもない。

 良い心がけにも想うことから、怖がる必要もなかったのだけれども、自分の置かれた状況とかさなり、動揺してしまった。という話。

 

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切支丹燈籠

下目黒の大鳥神社所蔵で、昭和38年守屋図書館に開設された郷土資料室に出品公開されて以来、中庭で展示されていたものです。
もとは千代が崎(東京都教職員研修センター附近)の大村邸内にあり、かつてこの地にあった肥前島原藩主松平主殿守の下屋敷にまつられ、密かに信仰されていたものと伝えられています。
竿石の下部に刻まれた像には足の表現がなく、イエス像を仏像形式に偽装した珍しい型の切支丹灯籠で、キリシタンへの弾圧と迫害が厳しくなった寛永・正保・慶安の頃から江戸中期にかけて造られたものと考えられます。(境内掲示)

大鳥神社|目黒区下目黒の神社

目黒シネマ 二本立て上映  昔ながらの風情

 山手通りを左折すると東急東横線中目黒方面。右折なら、東急目黒線不動前駅方面。 今回は、目黒通りを道なりにしばらく行く。途中、川が見てとれる。目黒川となっており、季節になると桜が綺麗。

 橋をわたるとなだらかな坂がしばらくつづくが、こちらが権之助坂となっており、途中、二又状になっており、左の方から坂を上がっていくと、途中、左手に街の小さな映画館。

 目黒シネマ。二本立てで上映しており、昔ながらの風情というものも楽しめて良いですね。また、付近には、飲食店も多いことから、飲食後に立ち寄るのも良さそうです。

 

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目黒川  河口付近[品川]

品が行きかっていた様子から、名残として

 河口付近は、引用にもあるように古くは「品川」と呼ばれ、流れが緩やかだったことから、品が行きかう川、「品川」の 起こりとされているのだとか。

 また、上流に向かっていくと、中目黒、池尻大橋の方に向かっていく事になりますが、途中、特徴的な大きな建築物が見てとれる。大橋ジャンクションという事になる。屋上に庭園があるらしいのですが、まだ、訪れることは出来てはいない。

 それは、別の話として、246を左折し、しばらく歩くと、三軒茶屋付近に出ることが出来る。

目黒川の近くにEXILEさんの施設(*‘ω‘ *) 

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目黒川(めぐろがわ)は、日本の南関東の、東京都世田谷区・目黒区および品川区を流れて東京湾に注ぐ河川。二級水系の本流である。

河口付近では古くは「品川」(しながわ)といい、湾岸開発が進む以前は河口付近で流路が湾曲していて流れが緩やかであったため、古くは湊(みなと。cf. 品川湊)として使われ、品の行き交っていた川であった。これが地名「品川」の起こりとされる。

江戸時代の絵図などでは、その上流の下目黒付近では「こりとり川」と記され、江戸時代に「目黒川」と記した絵図は確認されない。「こりとり」は「垢離取り」の意で、この川で身を清めてから目黒不動尊(瀧泉寺)に詣でたことにちなむ[1]。

目黒川 - Wikipedia

西太子堂駅歩いて直ぐに 最勝寺 [目青不動]

 世田谷線に乗車し、一駅で西太子堂駅。

 引用にもあるように、三軒茶屋から、300mしかないので、歩ける距離にある。途中、最勝寺が見てとれ、目青不動の通称でも知られているのだそう。

 

西太子堂駅(にしたいしどうえき)は、東京都世田谷区太子堂四丁目にある、東急電鉄世田谷線の駅である。駅番号はSG02。

三軒茶屋駅が周辺再開発のため当駅寄りに移転した結果、当駅と三軒茶屋駅との距離は極めて近くなった。現在、三軒茶屋駅との駅間は300mしか離れていないため、生活文化圏は共通する。よって三軒茶屋駅から乗車して当駅で降りる(あるいはその逆も)、という利用者はほとんどいない。

西太子堂駅 - Wikipedia

駒沢通り 散策コース

東京都道416号古川橋二子玉川線  明治通り

 目黒川沿いを散策することも多く、季節の移り変わりというものを見てとることを続けている。とくに朝方に、散策することが多く、祐天寺から、駒沢通りを経由し、中目黒駅付近まで歩くことも珍しくない。

 川面を朝日が照らしているさまというものもキレイに感じられ、澄んだ気持ちにもなれ、良い気分。そのまま、川沿いを目黒駅方面まで歩いて行くことも、たびたび、あるようです。 

 

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恵比寿方面へ道なりに行くと鎗ヶ崎 代官山

 駒沢通りを道なりに行くと鎗ヶ崎交差点 に出る、左折すると旧山手通り。真っすぐ、道なりに行くと恵比寿駅方面になる。

 今回は、左折し旧山手通り。途中、交差点があり、右折すると八幡通りとなり、右手に、大きなビルが見てとれる。代官山アドレスになるのか。代官山アドレスのビルを右手に見ながらしばらく持ちなりに行くと、並木橋の交差点。明治通りという事になります。途中、橋のような構造になっている場所があり、目を下にやると、山手線などが行き来している。 

 旧山手通りをしばらく道なりに行くと、大使館などが立ち並んでおり、通り沿いにもオシャレな店舗が立ち並ぶ。道なりに行くことで、交通量の多い通りに出る。246になるのか。 

駒沢通り祐天寺に行くも失われるもの多く

 2003年3月以降、祐天寺にお世話になりましたが、振り返ると、駅付近もそうなら、駒沢通り沿いも大きく様変わりしており、オシャレなお店が立ち並ぶ。しばらく、品川にお世話になっていたことから、祐天寺駅付近や、世田谷区の方に向かうことも、少なくなっており、事情を知ることもなかった。

 ただ、実家にお世話になる事により、落ち着ていて過ごすことが出来る環境を確保も出来ているし、それによって、ものごとを落ち着ていとらえることが出来ているようにも思われる。

 反面、失わて行くものばかりが目につくようにもなっております。

 

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東京都道416号古川橋二子玉川線(とうきょうとどう416ごう ふるかわばしふたこたまがわせん)は、東京都港区と世田谷区を結ぶ特例都道である。

明治通り、駒沢通りの通称がある。明治通り区間のうち天現寺橋交差点から渋谷橋交差点間は環状5の1号線に属する。

東京都道416号古川橋二子玉川線 - Wikipedia