みなとみらい線全6駅 MM06元町・中華街駅:横浜スタジアム近くに玄武門、南には朱雀門が配置され、会津藩白虎隊に想いを馳せる

元町・中華街駅(もとまち・ちゅうかがいえき)は、神奈川県横浜市中区山下町にある、横浜高速鉄道みなとみらい線の駅である。副名称は「山下公園」[1][2][3]。駅番号はMM06。

駅周辺地区(関内地区)は、横浜市における都心(ツインコア)の一つである「横浜都心」に指定されている[4]。

みなとみらい線が当駅より本牧を通り根岸駅、磯子駅方面に延伸する計画があるが、現在は凍結されている。
横浜市営地下鉄グリーンラインが中山駅から二俣川駅や上大岡駅を通って根岸駅より当駅に乗り入れる計画があるが、こちらはみなとみらい線とほぼ同じルートを通る予定である。
駅の終点側の線路を延長して10両編成4本を留置可能な引き上げ線を設置する計画があり、早ければ2019年度の着工を目指している[7][8]。

元町・中華街駅 - Wikipedia

MM06元町・中華街駅

幼少期、春節のバクチクに驚く

 小さい頃から、たびたびお世話になりました。家族ともなんどか訪れマリンタワーに上ったこともありました。春節のバクチクにひどく驚いたことも思いだされます。また、横浜スタジアムでデーゲームがある日などは、中華街で食事をしたこともなんどかありました。

 球場に向かう道すがら、肉まんをほうばりながらというのも良さそうです。また、三国志で有名な関羽が祀られている関帝廟、ほかにも媽祖廟に立ちよることで、中華街というものをより感じることが出来るのではないのでしょうか。

関帝廟 

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媽祖廟 

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横浜媽祖廟(よこはままそびょう)は、神奈川県横浜市にある媽祖をまつる祠廟である。

2006年(平成18年)3月17日に、横浜媽祖廟は開港から150周年を迎える横浜の新名所として横浜中華街に落慶開廟した[1][2][3]。明治時代の清国領事館の跡地である山下小公園に隣接している[4]。台湾最初の官建の台南市大天后宮より分霊された。

廟内には、媽祖像と2つの鬼神像がある[4]。「順風耳」と「千里眼」である[4]。「順風耳」は大きな耳をもち、あらゆる悪巧みを聞き分けて媽祖に知らせる役目をもつとされる[4]。「千里眼」は3つの目をもち、行く先や周囲を監視し、あらゆる災害から媽祖を守る役目をもつとされる[4]。また、神殿の前には、1番から5番までの5つの香炉がある[5]。参拝者が5本1組の線香を買い求め、これらの香炉に供えることができる[5]。1番の香炉は「玉皇上帝」へ、2番の香炉は「天上聖母」へ、3番の香炉は「註生娘娘」「臨水夫人」へ、4番の香炉は「月下老人」「文昌帝君」、5番の香炉は「福徳正神」へ順々に線香を供えることになっている[5]。

横浜媽祖廟 - Wikipedia

横浜スタジアム近くに玄武門、南に朱雀門配置

 横浜スタジアム近くには、玄武門(北)があり、下記画像(横浜中華街map)でも確認できますが、元町・中華街駅付近が南にあたり、近くに朱雀門(南)。東に朝陽門。西には延平門が配置されており、各々が方位の守護神として根強く信仰されていたようです。

東=青竜神、南=朱雀神、西=白虎神、北=玄武神。

横浜中華街map 

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横浜中華街1 - naturalright.org

玄武門(ゲンブモン)北  

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朱雀門 (スザクモン) 南  

朱雀門(すざくもん)は、古代、平城京や平安京といった条坊都市の宮城(大内裏)において南面する正門。大内裏の外郭十二門のうち最も重要な門であった。「しゅじゃくもん」ともいう。

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会津戦争に際し会津藩が組織した白虎隊が連想

 たびたび、中華街を訪れた。

 小さい頃に、家族に連れられ、食事に行ったこともあった。

 先日、お邪魔した際に、玄武門や朱雀門というものから感じたものというのは、以前のものとはまた違う。おそらく、自分の心境の変化というのもあるのだろうし、成長したというのもあるのか。同じもの見たとしても、違うことを感じたり、考えたりもする。

 前回までのそれとは違い、会津や福島というものがイメージされた。会津戦争に際し組織された白虎隊が連想されたのだ。

 白虎隊、玄武隊、朱雀隊、青龍隊

 

白虎隊(びゃっこたい)は、会津戦争に際して会津藩が組織した、16歳から17歳の武家の男子によって構成された部隊である。中には志願して生年月日を改め15歳で出陣した者もいたほか、幼少組として13歳の少年も加わっていた。

幕末の会津藩が組織した部隊には他に玄武隊、朱雀隊、青龍隊などがある。名前の由来は、中国の伝説の神獣である「白虎」からである。

白虎隊 - Wikipedia

新装版 王城の護衛者 (講談社文庫)

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山下公園周辺にも度々お世話に 

関東大震災により出た瓦礫を埋め立て“山下公園”

 訪れた際、当時の人びとの強さや想いというもの感じる。

 関東大震災で出たがれきで横浜港を埋め立て、かたちづくっていく事で、山下公園になったのだとか。今風に言うなら、“スクラップアンドビルド”

 もちろん、地震なので、良くないことが起きてしまったわけですが、良くない出来事を、より良いものに変化させようとする、当時の人びとの強さや想いというもの、公園に訪れた際に感じられ、東京五輪・パラリンピックというものに役割があるのだとするなら、そういった人の想いというものを取り戻すというのもそうですし、野球・ソフトボールの会場として横浜スタジアムが利用されるというのも、地域や世代間の不和解消としての役割があるのだろうと考えていますし、出来る範囲で、協力できたならうれしく想います。

赤レンガ倉庫が見えます。さらに奥には飛鳥Ⅱ、

ベイブリッジも見えますね(*‘ω‘ *) 

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田園調布:関東大震災後に注目 富裕層が集まる

 田園調布、関東大震災後に注目を集める。

 大地震により建物が次々と倒壊し火災も発生。大惨事になってしまったのですが、田園調布一帯は地盤が固かった事が影響したのか、被害が軽微で済んだのだそうで、震災以降、富裕層が目をつけ、集まるようになったのだそうで、以降、高級住宅地として注目されるようになったのだとか。

こちらは飛鳥Ⅱ 

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飛鳥II(あすかツー)は、日本郵船の関係会社、郵船クルーズが所有・運航している外航クルーズ客船。2006年2月に売却された「飛鳥」の後継船にあたる。

1990年6月、「クリスタル・ハーモニー(Crystal Harmony)」(バハマ船籍)として三菱重工業長崎造船所で竣工。その後2006年1月に郵船クルーズが本船を買い取り日本市場向けの改装を施し、2月末よりの習熟航海を兼ねた日本各地でのお披露目を経て、3月17日に正式デビューした。

日本籍では最大の客船である。

飛鳥II - Wikipedia

マリンタワー:2010年恋人聖地に

1988年父と訪れたのが最後になります“母入院中”

 マリンタワーにも度々訪れましたが、最後にお邪魔したのは、意外と古く、武蔵小杉の病院に母が入院したころ。1988年が最後ということになるのでしょうか。

 落ち込み気味なところを心配したか、父が連れ出してくれたのが、桜木町や山下公園、中華街でした。

 30年以上前のことなので、マリンタワーで何を話したかも覚えてはいないのですが、イメージされることが良いものなのだから、そういう事になるのでしょうね。

向こうに見えるのがマリンタワーになります。

山下公園から撮影(*‘ω‘ *) 

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近づいて撮影してみました(*‘ω‘ *)

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横浜マリンタワー(よこはまマリンタワー)は、神奈川県横浜市中区山下町にある横浜港のシンボルともなっているタワーである。山下公園に隣接しており、かつては灯台としても機能していた。また、全日本タワー協議会に加盟している[1]。2010年4月1日に恋人の聖地に認定された[2]。

開業記念に[ 田代京子:マリン・タワーで逢いましょう/哀愁のヨコハマ・ボレロ◇NS-334/TEICHIKU/定価300円/EP盤/] がテイチクから発売された。

2006年末にいったん営業を終了したマリンタワーは、「マリンタワー再生事業」に基づき、横浜市が改修し、公募された事業者が借り上げる形で外観のリニューアルや屋内の改装などが行われ、開港150周年に当たる2009年の5月23日にリニューアルオープン。外観は紅白からシルバーとブラウンオリーブになった[4]。

横浜マリンタワー - Wikipedia

氷川丸:日本郵船1930年に竣工 現在博物館船公開

 氷川丸が博物館船として公開されているようですが、まだ、一度も内部に入ったことがなく、気になる。機会を見つけては、チャレンジしたいと考えておりますので、続報がありましたら、随時、追記して行きたいと思います。

氷川丸 

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氷川丸(ひかわまる)は、日本郵船が1930年(昭和5年)に竣工させた日本の12,000t級貨客船。北太平洋航路で長らく運航された。2016年時点では、横浜市で博物館船として公開されている。国の重要文化財(歴史資料)に指定されている[2][3]。

本船(氷川丸)の船名は、大宮氷川神社に由来する[4]。ブリッジの神棚には氷川神社の祭神が勧請され、保存船となった後も氷川神社を祀っている[4]。姉妹船には2隻(日枝丸、平安丸)があり、「日枝丸」は東京千代田区日枝神社を、「平安丸」は平安神宮を祀った[4]。なお本級3隻は頭文字『H』で統一されている[4]。

氷川丸 - Wikipedia

横浜DeNAベイスターズを応援しよう!  闘え 誇りを胸に 我らの星 ヨコハマ

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  • 出版社/メーカー: カンゼン
  • 発売日: 2018/03/20
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