東急東横線全21駅 (仮) お家は東急リバブルにお任せしています! 鷹番したいので、よろしくお願いいたします 東京急行電鉄所属!

東横線(とうよこせん)は、東京都渋谷区の渋谷駅と神奈川県横浜市西区の横浜駅を結ぶ東急電鉄(東急)の鉄道路線である。

路線図や駅ナンバリングで使用される路線カラーは赤色、路線記号はTY。

東横線は通勤路線であるとともに、東京と横浜という2つの都市を結ぶ路線の一つで、東急の基幹路線である[注釈 2]。田園調布駅 - 日吉駅間は複々線であり、うち2線の線路を使用して東横線のバイパス機能を果たしている目黒線(目黒駅 - 日吉駅間)が並走する。

東急東横線 - Wikipedia

東急東横線

路線データ 
路線距離:24.2km
軌間:1067mm
複線区間:
複々線:
田園調布駅 - 日吉駅間 (5.4km)[注釈 1]
複線:
渋谷駅 - 田園調布駅間 (8.2km)
日吉駅 - 横浜駅間 (10.6km)
電化区間:全線(直流1500V)
閉塞方式:車内信号閉塞式(ATC-P)
最高速度:110km/h

東急東横線 - Wikipedia

東急沿線の不思議と謎 (じっぴコンパクト新書)

東急沿線の不思議と謎 (じっぴコンパクト新書)

東京都 

TY01渋谷駅~TY09多摩川駅

告知

 東急さんの初代社長さんは竹田さんのようです。何の偶然なのか、私も竹田というのです。これも何かの縁。よろしくお願いいたします。

 ところで、木リストいかがでしょうか?

 木ギョウしてみたいのですが、良いお話を聞けるとうれしいです。よろしくお願いいたします。

 マネージャーさんがいると助かります。お願いできますでしょうか。よろしくお願いいたします。

渋谷駅

東横線TY01:当時、渋谷の空には“ビルビル”間にロープウェイ

かつて渋谷の空にはロープウェイが走っており、複合商業施設“渋谷ヒカリエ”など次々と新しい建物が建つ渋谷の姿からは想像できないが、かつて“渋谷のシンボルといえば、ロープウェイ”だったのだそう。

イメージでは地上と山をつなぐのがロープウェイとなるが、ビルとビルを結んでいたのだとか...

 

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山手線JY20:2013年東急東横線渋谷~代官山駅間が地下化

2013年3月16日、東急東横線渋谷~代官山駅間が地下化。一方、東横線渋谷~代官山の地上区間が廃止となり、名物でもあった、急カーブが姿を消した。

急カーブが必要になっていたのは、東横線渋谷駅が山手線の東側に存在していたことが理由になっており、東横線の路線は陸橋で山手線をクロスする形で敷かれている。

東ではなく西に駅を配置していれば急カーブも必要なければ、莫大な費用も必要なかったにもかかわらず、何故東に。

諸説考えられるが、最も有力視されるのが、東横線の原型ルートが、渋谷駅でなく広尾を起点としていた説。東京急行電鉄の前々身にあたる「武蔵電気鉄道」は当初、敷設免許として出願したルートは、現在の目黒区~横浜市平沼だったと言われている。

また武蔵電気鉄道は、現在の東横線を本線とし、途中、下沼部から分岐し蒲田に至る蒲田支線や、碑文谷~新宿、上目黒~有楽町、横浜市内支線など二〇区間もの路線免許出願をおこなう。

第一次世界大戦の勃発により、土地価格が急騰。計画は停滞し、東京市が「山手線内交通は原則市営」という方針を打ち出す。広尾までの路線建設が難しくなってしまう。そこで、武蔵電気鉄道は、広尾でなく渋谷へと方向転換し、路線が急カーブを描くような形になったのだとか...

 

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渋谷駅(しぶやえき)は、東京都渋谷区道玄坂一丁目および同二丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・京王電鉄・東急電鉄(東急)・東京地下鉄(東京メトロ)の駅である。

JR東日本の各線(後述)、京王井の頭線、東急の各線(後述)および東京メトロの各線(後述)という4社の路線が乗り入れるターミナル駅である。JR以外の各線はすべて当駅を起点・終点としている。なお、渋谷マークシティとは、連絡通路を介して行き来することができる。

渋谷駅 - Wikipedia

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構内図 | 渋谷駅/G01/Z01/F16 | 東京メトロ

代官山駅

東横線TY02:道路に埋まった橋があるらしい「新坂橋」

代官山には、道路に埋まった橋があるらしく、現代的な街並みから、取り残さたかのような橋の親柱には、「新坂橋」という文字が、反対側には「大正一三年」の文字が見える。

大正時代に造られたが、橋の下は道路。かつてこの橋の下には三田用水から渋谷川に向かう猿楽口分水が通っており、江戸時代に目黒の農業用水として玉川上水から分水された用水で灌漑用水として利用されていたのだとか...

 

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代官山駅(だいかんやまえき)は、東京都渋谷区代官山町にある東急電鉄東横線の駅である。駅番号はTY02。

代官山駅 - Wikipedia

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東横線[代官山駅]コインロッカーのご案内|東急電鉄

中目黒駅

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祐天寺駅

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学芸大学駅

東横線TY05:学芸大学駅周辺に“東京学芸大学”がない

「学芸大学駅」。その名からイメージすることも出来るが、“東京学芸大学”を駅名の由来としており、駅前を散策すると、「学大十字街」や「学大横丁」など、東京学芸大学にちなんだ名前を見かけるのだが、駅周辺をながめても、肝心の大学の場所は見当たらない。

現在、学芸大学駅近くに、東京学芸大学は存在しない。駅開業は1927年で、当時、周辺の地名をもとに「碑文谷」駅と命名された。1936年東京府青山師範学校がこの地に移転したことを機に「青山師範」駅と改称。さらに、青山師範学校の名称変更に合わせ「第一師範」駅と変更がなされる。戦後の1952年、学校が“東京学芸大学”と改称をしたのを機に学芸大学駅と名を変えたのだそう...

 

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都立大学駅

東横線TY06:

自由が丘駅

東横線TY07:もともと学校の名前だった「自由が丘」

「自由が丘」、最初から同地の地名であったわけではない。目黒区が成立する以前まで、周囲は、大根畑が広がる農村であったという。そんな静かな農村に変化がみられたのは、1927年こと。東急横浜電鉄が開通、同時に駅が開業。駅名は、西へ200メートルほどのところにある浄土宗浄真寺にちなみ「九品仏」だった。

同年、この地に「自由ヶ丘学園」が開校され、小さな子を持つ若い世代が住むようになり、翌年には「石井漠舞踏研究所」も開設され、芸術家が集まるようになった。

1929年に、浄真寺の参道前に二子玉川線(現・大井町線)の「九品仏」駅が開業され、東横線と接続することで、同じ名前では、ややこしくなるため、「自由ケ丘」駅になったという。1965年“ヶ”は“が”に変更され、現在の「自由が丘」になったのだそう。

 

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大井町線OM10:

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大井町線(おおいまちせん)は、東京都品川区の大井町駅と神奈川県川崎市高津区の溝の口駅とを結ぶ、東急電鉄(東急)が運営する鉄道路線である。

路線図や駅ナンバリングで使用される路線カラーは橙色、路線記号はOM。

大井町駅から大岡山駅、自由が丘駅、二子玉川駅を経て溝の口駅へ向かう路線である。世田谷線・東急多摩川線をのぞき、南北放射状に伸びる東急の各線(田園都市線・東横線・目黒線・池上線)との乗換駅が存在する。

東急大井町線 - Wikipedia

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田園調布駅

東横線TY08:ひっそりと立つ石碑が伝える廃路線「新奥沢線」

田園調布から東へ向かって十分ほど歩くと、住宅街の一角に「新奥沢駅跡」と彫られた小さな石碑を見つけることができるらしい。かつてこの地にあった今はなき路線と駅の存在をこの石碑は示しており、新奥沢駅は、一九二八年十月池上電気鉄道新奥沢線の終点として誕生。

雪ヶ谷(現・雪が谷大塚)と国鉄中央線(現・JR中央線)国分寺を結ぶ路線として計画され、路線全体を先がけ、雪ヶ谷と諏訪分駅、新奥沢駅の三駅区間、およそ一・五キロメートルが開業される。だが、雪ヶ谷~新奥沢は開業当初から乗客がつかず複線から単線に変更。国鉄国分寺駅との接続も早期にやぶれてしまったらしい。

路線計画が軌道に乗らなかった理由はいくつか考えられるが、最大の理由は、池上電気鉄道が目蒲電気鉄道(現・東京急行電鉄)との競争にやぶれた点にあるのだとか....

 

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多摩川駅

TY09:観覧車などを備える遊園地「多摩川園」

現在、多摩川駅前には、「田園調布せせらぎ公園」という名の緑地公園が広がる。春には桜の花が咲き誇り、秋にはイロハモミジの紅葉が楽しめる自然豊かな公園になるが、かつては観覧車やメリーゴーランドなどを備える遊園地「多摩川園」があった。

多摩川園は、阪急沿線に造られた「宝塚新温泉」の活況に追随すべく造られたレジャー施設で、園内の大浴場が竣工すると同時に多摩川園が開園。大ヒットとまではいかないようで、1979年閉園。観光客目当てで繁盛していた駅前商店も活気を失ってしまった。

紆余曲折あるも、遊園地の存在もあって「多摩川園」と名乗っていたが、三度目の改称では、閉園を理由に「多摩川」に戻したのだそうです。

 

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神奈川県 TY10新丸子駅~TY21横浜駅

新丸子駅

武蔵小杉駅

元住吉駅

日吉駅

綱島駅

大倉山駅

東横線TY15:エルム通りの名はギリシャアテネ市と提携したことに

横浜市港北区にある大倉山駅を下車し、西口から街に出ると、目を疑いたくなるような光景が広がる。まるでギリシャ神殿のような建物が、220メートルにわたり立ち並んでいる。だが、よく見ると、婦人服の店やレストラン、牛丼チェーン、八百屋などの商業施設であることにも気づく。

ギリシャ神殿風の建物が並ぶ一帯を「エルム通り」商店街と、そう呼ぶ。1987年までは、日本のどこにでもあるような普通の商店街の1つだった。転機をむかえたのが1978年。隣駅である菊名駅の港北区役所が大倉山駅東口方面に移転してきたことで、東口に人が集中する一方、西口の人通りが減ってしまったのだそう。

危機感を覚えた当時の西口商業協同組合は、打開策を練る必要にせまられる。ヒントになったのが、西口商店街近くにある大倉山記念館。

「東西文化の融合」をコンセプトに「プレヘレニズム様式」という世界的にも希少な建築様式を用いたことで知られ、1991年には、横浜市指定有形文化財にもなっているようです。

大倉山を象徴する記念館をモチーフにあらたな商店街づくりを目指した西口商店街は、通りの幅員を、各店が2メートルずつ下がることで拡張し歩道を確保。通り沿いの建物をプレヘレニズム様式を基調とした、建築物に建て替えた。こうして生まれ変わった商店街を「エルム通り」と名を変えて再出発を果たすと順調に客足を伸ばすようになる。なお、エルム通りの名は、ギリシャアテネ市にあるエルム通りと提携を結ぶことに由来しているのだそうです。

 

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菊名駅

東横線TY16:菊名近くの森に“篠原城址” 本丸や堀などの遺構が確認

東横線菊名駅からJR新横浜駅方面に向かって10分ほど歩くと、住宅地の真ん中に緑生い茂る丘が見つかる。一見すると木々に囲まれた自然公園のようだが、フェンスで厳重に囲われ、立ち入り禁止区域になっている。

「篠原城」跡ということになるが、篠原城は、戦国時代に後北条氏の家臣であった小机衆の篠原代官・金子出雲の居城とされ、小机周辺を支配するための居城として築城されたが、後北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされ、廃城になったと伝わる。だが、この城の実態は、分からないことが多く、篠原城についての記述がある最古かつ唯一の文献は、1830年「新編武蔵風土記稿」になる。

一節をひいてみると、「古城跡 むらの北の方にあり、金子十郎家忠の城跡なりと云、」とある。もっとも、その記述のあとには、家忠の住んでいた場所はほかにもあり、どうもはっきりしない。江戸時代にはすでに、この城は伝説的にしか知られていなかった。

2000年頃から、研究者の間で実在したと認める声もあがる。そして篠原城址はここ菊名近くの森であると特定され、2011年の発掘調査では、ついに本丸や堀などの遺構が確認されたらしい。

 

菊名駅(きくなえき)は、神奈川県横浜市港北区菊名七丁目にある、東急電鉄(東急)・東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である。

東急の東横線とJR東日本の横浜線の2路線が乗り入れ、接続駅となっている。JR東日本の駅は特定都区市内制度における「横浜市内」に属している[1]。

菊名駅 - Wikipedia

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駅構内図 | らくらくおでかけネット

妙蓮寺駅

東横線TY17:

東白楽駅

東横線TY19:

横浜駅

東横線TY21:

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みなとみらい線MM01:横浜駅から元町・中華街を結ぶ4.1キロ

2004年2月1日に開業した「みなとみらい線」は、横浜駅から元町、中華街へと至る4.1キロメートルの短い路線である。渋谷から横浜までをつなぐ東横線との直通運転を行っているため、東京方面からみなとみらい21地区や馬車道、大さん橋、中華街など人気のスポットにアクセスが良く、開業以来多く利用されている。

直通運転が行われている駅では、営業会社が変わると駅員も入れ替わるのがルール。たとえば東急が渋谷駅で東京メトロ副都心線へと乗り入れる場合、運転手が東急から東京メトロの社員に交代する。ただ、横浜駅に到着した東横線は、運転手の交代が行われないまま、みなとみらい線に進入する。

不思議な運行には、理由があり、横浜高速鉄道が東急に業務委託していることにある。みなとみらい線における両者の関係は、横浜高速鉄道が「第一種鉄道事業者」、東急は「第二種」という事になる。

第一種鉄道事業とは、自ら保有する鉄道車両と路線によって旅客や貨物を運ぶ事業。第二種とは、他者の保有するものを使用し旅客や貨物を運ぶ事業なのだそう...

 

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横浜駅(よこはまえき)は、神奈川県横浜市西区にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東急電鉄(東急)/横浜高速鉄道・京浜急行電鉄(京急)・相模鉄道(相鉄)・横浜市交通局(横浜市営地下鉄)の駅である。

JR東日本と京急の駅は高島二丁目、東急/横浜高速鉄道・相鉄・横浜市営地下鉄の駅は南幸一丁目にある。

横浜駅 - Wikipedia

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横浜駅の構内図を集めてみた。目的・自分にあうものを見つける | たまトラ