東京メトロ南北線全19駅 N01目黒駅:心は無限の宇宙 “間”に時の経過をみる事で宇宙を感じる事もできる

心は無限の宇宙

ショートスリーパー

 夜中に起床し、これといってする事もないので、ボケーとデスクトップ画面を眺めた。※現在は、主にマックを使用している

 記事もいくつか読み、これといって想うこともなく、ボケーとWindows 10の壁紙を眺めていました。

 今更ながら気づきました。今までいかにボケーと過ごしていたのだろうと思うのです。下記にある、Windows 10の壁紙をいかにいい加減に眺めていたのかと思うのです。

 あまりにも驚きがあったので、キーボードをたたき始めることにしました。 

これのことよ(*‘ω‘ *) 

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ショートスリーパー(short sleeper)とは、短い睡眠時間で健康を保っていられる人間のことであり、短眠者(たんみんしゃ)ともいう。

一日の平均睡眠時間は7-8時間程度が健康的とされるが、6時間未満でも生活できる人間がいる。ナポレオン、エジソンは4時間、フランツ・ヨーゼフ1世は3時間[1]しか眠らなかったという説があるが、真偽のほどは不明である。立証されているショートスリーパーでは、日本の芸能人である武井壮は、2時間の睡眠が通常の人の12時間睡眠に匹敵する程のレム睡眠の少なさと言う特殊な体質の為、物心が付いてから4時間以上の睡眠を取ったことが無いと言うことが番組の検証で明らかとなっている。

逆に、長時間の睡眠を要する人間のことを、ロングスリーパーという。

ショートスリーパー - Wikipedia

N01目黒駅:1995年上京、目黒区下目黒

 1995年家族と共に上京する事になりました。目黒区下目黒にある、某マンションで家族3人過ごす事になります。自宅近くには、林試の森公園という、大きな公園があって、先日訪れた際も、多くの人々の憩いの場として、機能していました。

 説明書きによると、林試の森公園の地下は、貯水場が設置されており、震災などの有事の際に、備えているようです。また、“林試の森”の名の通り、多くの木々が生い茂っている事から、震災などでの避難場所としても適しており、安心して過ごせそうです。

 

目黒駅(めぐろえき)は、東京都品川区上大崎にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東急電鉄(東急)・東京地下鉄(東京メトロ)・東京都交通局(都営地下鉄)の駅である。品川区最北端の駅である。

駅名と所在地 
駅名は目黒駅であるが、駅の所在地は目黒区ではなく品川区である。開設時に遡っても目黒村でなく大崎村に位置している。

駅名選定の経緯は残されていないが、目黒不動尊や目黒川など周辺には「目黒」を冠する名称が多い。設置場所については、蒸気機関車の煙や振動が農作物に悪影響を与えると心配した地元農民の反対運動のため、目黒川沿いに鉄道を建設する当初計画が変更されたとする伝承(目黒駅追上事件と称される)がある[8]。一方、地理学者の青木栄一はこうした伝承のほとんどは文献資料などの根拠を欠いたものであると述べている。

目黒駅 - Wikipedia

Windows 10の壁紙

持ち合わせた心をそこに重ね宇宙を見た

 壁紙の画像はどう見えるでしょう。

 うん、「窓から日が差している」というところでしょうか。田んぼの“田”にも見えますが、窓の事でしょう。外から日が差しているので、部屋の中からみているという事も分かります。

 「門のなかに日が差している」つまり、間を表現しているという事も分かります。

 日が昇り、やがて落ちていく。夜になり、また昇る。繰り返していく日々の日常をイメージできます。経過をその間からみていることも分かります。宇宙を表現しているようにも見えます。

 空間に、日が差し、時間の経過から宇宙を感じているということでしょうか。

 

宇宙(うちゅう)とは、以下のように定義される。

コスモス。時間・空間内に秩序をもって存在する「こと」や「もの」の総体。何らかの観点から見て、秩序をもつ完結した世界体系。
全ての時間と空間、およびそこに含まれるエネルギーと物質。あらゆる物質や放射を包容する空間。あらゆる物事(森羅万象)を含む全ての存在。

宇宙 - Wikipedia

“間”に時の経過をみる事で宇宙を感じる事も

 門の内に日が差すことで、内と外の境。内の社会と外の社会。“じんかん”

 人間を意味する。“間” そこに暮らす人々。

 空間と時間の秩序を乱さないことで存在することができる。時の経過から、間に宇宙をみる、心を見ることができる。人間。そういった心のある人々が共存していくことで維持されている世界。

 現実であれ、仮想であれ、そういった心のある人々がともに生きていくことで、維持できている世界なのかなと考えました。

 新世界。

 

にん げん [0] 【人間】
〔「にん」 「けん」ともに呉音〕
① (機械・動植物・木石などにはない、一定の感情・理性・人格を有する)ひと。人類。
② (ある個人の)品位・人柄。人物。 「なかなかの-だ」 「あの人は-ができている」
③ 人の住む世界。世間。世の中。じんかん。 「わがすることを-にほめあがむるだに興ある事にてこそあれ/大鏡 実頼」 〔③ が原義で、現代中国語でも「俗世間」の意。日本では、中世末から近世にかけて「ひと」そのものをあらわすようになった〕

人間(じんかん)の著者・刊行日 Weblio辞書

文字の羅列に意味はない

相手をイメージできて、ようやく心が通じる 

 ボンヤリしながら、すこし良くない考えになりかけていただけに、Windows 10の壁紙から良いイメージを頭の中に浮かべることが出来たことで、今日はいい事があるのではないかと前向きになれました。

 いつもと変わらない、トップ画像でしたが、イメージを働かせることで、気分を上向かせることが出来ました。心、イメージする力、“モノ”ではなく、画像ひとつとっても、そこに何かを見る事で、自由に表現すること、自由に想像することで、創造していくこと、文字を言葉を連ねていくことにもつながる。

 心の世界だからこそ、“モノ”に着眼するよりも、心のことや文化的なものごとに大して何かを見ることが出来たらよいのかなと、ただの文字の羅列にすぎない情報も、心あるひとがそこに命を吹き込むから、そこに心を見ることが出来るのだろうな、と朝からそんなことを考えました。

持ち合わせた心を情報に見る 心に価値がある

 文字の羅列に意味があるなら、人間が作成しなくとも、AIに全て任せれば良い。

 心のない、AIが作成すれば良い事になるが、心の持たない者が作成する文言に、どれだけ価値があるのだろうか。顔のイメージすることがむずかしい相手が作成する文言に、どれほど意味があるだろう。

 文字自体に、それほど意味があるとも考えておらず、“ロールシャッハ・テスト”の話に近いかもしれないが、持ち合わせた心を、その文字に文言に、情報の羅列に重ねて見るから、文字ではなく、心に価値がある。人間の心に価値があるのではないでしょうか。そんなことを考えています。

 

文系AI人材になる: 統計・プログラム知識は不要

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